京都地方裁判所 昭和27年(タ)18号 判決 1956年7月07日
原告 山下みさよこと黄文柄
被告 黄明文(いずれも仮名)
主文
原告と被告とを離婚する。
被告は原告に対して金二十万円を支払え。
金員支払に関する原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決は第二項に限り仮に執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は、原告と被告とを離婚する、原被告間の未成年の長女明子に対する親権者を原告と定める、被告は原告に対し金七十万円を支払え、訴訟費用は被告の負担とする、との判決並に金員支払を求める部分につき仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、原告は昭和二十二年十二月一日被告と結婚の式を挙げて、京都市右京区鳴竜川西町三十七番地に内縁の夫婦として同棲し、同月三日付の結婚証書を得て、昭和二十四年一月十三日正式に我国の法令による婚姻届出をなし、その間昭和二十三年十二月二十日原被告間に長女明子をもうけた。当初被告は北原公三と自称し、東京都に本籍を有するが、戦災により戸籍は不明になつていると申し述べたので、原告は被告を真に日本人と信じて結婚したものであるところ、その後被告は中国人であることが判明したが、原告は欺かれたとはいえ、夫婦間さえ円満ならばと隠忍して、被告に対し妻としての愛情を捧げ、且つ子の愛育に努めてきたのである。当時被告は前記鳴竜附近に山林を所有し、薪材等の伐採販売により生計をたてゝいたが、漸次資産を増加し、昭和二十六年十二月頃に至り、京都市中京区東堀川通御池東入森ノ木町に東庫兼住宅を建設し、これを営業所として高級新型自動車三台及び三輪オートバイを所有して外人向ハイヤー営業を始めた。ところが被告は昭和二十七年一月頃から右営業所に他の女性を引入れて同棲し、同月二十七日以降従来の住所に原告を遺棄したまゝ、全く原告を顧ず、同日原告が被告の帰宅を促すため右営業所へ赴いたところ、被告は故なく原告を殴打して、その右手小指に治療数ケ月を要する打撲傷を負わしめ、剩え同年二月以降原告及びその子に対して生活費すら支給せず、原告等をして路頭に迷う非境に陥らしめた。更に原告は同年五月二日被告の右営業所において被告を糾問したところ、被告は又しても竹棹を以て原告を殴打し、原告の両足に歩行困難になるほどの内出血の傷害を与えた。この様な事態に立ち至つて原告はやむをえず原告肩書住所地の実家山下武雄方に身を寄せている。被告は原告との結婚前よりその後にかけて他に数人の女性とも情を通じていたものであつて、被告に叙上のような不貞の行為あり、且つ悪意を以て原告を遺棄した上、原告に対し堪え難い虐待侮辱を加える態度をとる以上、もはや原告は到底被告との婚姻を継続することはできないから、被告に対し離婚を求め、長女明子の親権者を原告とし、且つ原告の蒙つた精神的苦痛についての慰藉料として金七十万円の支払を求めるため本訴請求に及ぶ、と陳述した。<立証省略>
被告は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする、との判決を求め、答弁として原告主張の事実中、原告と被告とが昭和二十二年十二月一日から内縁の夫婦として同棲し、結婚証書を得て昭和二十四年一月十三日婚姻届出をなしたこと、その間昭和二十三年十二月二十日に長女明子が出生したこと、現在原告が実家の山下武雄方に身を寄せていることは、いずれも認めるが、その余は全部否認する、と述べた。
理由
先ず本訴離婚事件につき我国の裁判所に裁判管轄権があるかどうかの点を考えてみるに、外国人間の離婚事件についての裁判管轄権に関しては、我国の国際私法規定たる法例その他にも直接の規定は存しないが、鑑定人実方正雄の鑑定の結果によれば、へーグ離婚条約第五条は、離婚訴訟は第一に夫婦の本国法による管轄裁判所、第二に夫婦の住所地の管轄裁判所に提起しうるものとし、我が法例第十六条但書も離婚につき本国のほか住所地国に国際民事訴訟法上の管轄権を並列的又は補充的に認めている趣旨であることを間接に推認することができるものと解せられ、しかして夫婦異住所の場合は原則として被告たる当事者の住所地国に管轄権があるが、例外的に、原告たる当事者が遺棄される等の特段の事情があるときは、国際私法生活の円滑と安全の保障のために、原告の住所地国にも管轄権を肯認することが条理に合するものというべく(溜池良夫「離婚、別居」国際私法講座第二巻五七九頁、桑田三郎「渉外婚姻事件に関する判例概観」判例評論第四号九頁)、この場合管轄権承認の標準たる住所は、国際私法上においては厳格に民法上の住所概念と一致する必要はなく、私生活の中心たるべき緊密性を有する地的紐帯をもつて住所とみてよいものと解されるところ、これを本件について見るに、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第二号証、公文書にして真正に成立したものと認める甲第三号証に原告本人尋問の結果を綜合すると、被告は中華民国々籍を有した外国人であり、原告は京都市に本籍を有する日本人であつたが、昭和二十四年一月十三日被告との婚姻届出により中華民国々籍を取得して日本国の国籍を喪失したものなるところ、昭和二十七年に至り、被告は後段認定のように原告を遺棄して別居の状態となり、原告は現にその肩書住所地に居住している事実を認めることが出来、他方被告は本訴提起当時京都市中京区東堀川通御池東入森ノ木町に居住していたが、その後静岡県下に滞在し鎌倉市大町を連絡先とした後現在所在不明になつていることは当裁判所に顕著な事実であるから、本件においては、原告のために渉外的私生活関係の円滑と安全を図るには原告の住所を標準として、我国に裁判管轄権を認めることが必要であり、且つそれが正当であるといわなければならない。
よつて次に本案について判断する。離婚の準拠法は法例第十六条によれば、その原因事実の発生当時における夫の本国法であるところ、夫たる被告は前示認定の如く中華民国々籍を有したものであり、その本籍は肩書記載の通りであることは前記甲第二、三号証により明かである。而して他面中華民国に於ては、第二次大戦後革命が進展し、本件離婚原因たる事実の発生する昭和二七年(一九五二年)以前において夙に被告の本籍地は中華人民共和国政府の支配圏内に入つたのであるから、何等特別の事情(例えば国籍選択権が与えられ被告が中華民国々籍を選択したるが如き)の認むべきもののない本件で、被告は現在同政府の支配圏内に本籍地を有することを紐帯として同政府と結ばれ、同政府の制定した法規その他その支配圏内に行われる法規が被告の本国法であると解すべきである。尤も我国は中華人民共和国政府を法律上も事実上も承認していないので、同国の法令を適用することが許されるか、将又台湾に現存する中華民国の法令を適用すべきかの点が問題となる。しかしながら、鑑定人実方正雄の鑑定の結果によれば、元来国際私法は渉外的私生活関係の性質に最も適合する法律を発見し、以て私法の領域における渉外関係の法的秩序の維持を図ることを目的とするもので、承認された国家主権相互の調整に関するものではないから、国際私法上適用の対象となるべき外国法は承認された国家又は政府の法に限られるべき理由はない。国家又は政府の承認は、政治的外交的性質を有する国際法上の問題であつて、承認の有無は外国法の実定性にはかゝわりないことであり、未承認の一事をもつて或る一定の社会に一定の法が行われていることを否定する根拠とすることはできないから、国際私法上の関係では、我国の裁判所は未承認の国家又は政府の法令をも外国法として適用しなければならないものと解せられる(長谷川、西山「外国法の適用」国際私法講座第一巻二一八頁)。従つて本件においては夫たる被告の本国法として中華人民共和国の法令を適用すべきである。ところで鑑定人谷口和平の鑑定の結果によれば、中華人民共和国においては、男女の一方が強く離婚を要求する場合には区人民政府が調停を行うことができ、調停の効果のない場合には、直ちに県又は市の人民法院の処理に移して離婚を許し、なお又男女の一方は区人民政府の阻止又は妨害を受けることなく離婚を提訴することができ、この場合県又は市の人民法院は先ず調停を行い、調停の効果のないときは、直ちに離婚の判決を行うべきものとされ(中華人民共和国婚姻法第十七条、別紙抄訳参照)、離婚の原因については特に定めるところはないけれども、実際の取扱では、常に離婚の判決がなされるものとは限らず、妻に対する理不尽な逐出しを意図してなされる離婚請求の如きは許されず、この点から見て同法の意図する離婚制度は完全に無制約的なものではなくて、結局裁判所(司法機関)は、婦人の完全な解放を厳粛な男女関係の確立と矛盾なく実現し、社会主義国家建設の次代の担当者たる子を健全に育てるという目標に従つて、離婚の判決を与えるや否やを判断すべきものと認められる。
以上の観点に立つて本件を按ずるに、原告本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認める甲第一、第二、第四号証、公文書にして真正に成立したものと認める甲第三、第五号証に、証人山下茂の証言及び原告本人尋問の結果を綜合すると、原告は訴外山下武雄の長女みさよとして生れ、京都裁縫女学校を卒業後、昭和二十二年十二月一日被告と結婚の式を挙げて、京都市右京区鳴竜川西町三十七番地に新居を構えて内縁の夫婦として同棲し、昭和二十三年十二月二十日には原被告間に長女明子が出生した。当初被告は北原公三と自称し、東京都に本籍を有したが戦災により戸籍は不明になり、家族とも死別したと申し述べ、且つ奉公袋をも所持していたので、原告は被告が日本人でないとは露知らずに結婚したものであるところ、その後漸次被告が中国人であることが判明するに至つたが、原告はすでに一子を挙げている以上、被告の愛情に変りがないならば、国籍の如何を問わず、生涯の伴侶たるべき意思を固め、昭和二十二年十二月三日付の結婚証書が作成された後、昭和二十四年一月十三日正式に我国の法令により原被告の婚姻を届出て、原告は夫たる被告に随い中華民国々籍を取得し、日本の国籍を喪失した。被告は薪材の伐採販売や、小型自動車による運搬業を営んだ後、昭和二十六年十二月頃京都市中京区東堀川通御池東入森ノ木町に車庫兼住宅を建前し、これを営業所として自動車営業を始め、その頃から原告の許へは殆ど帰宅せず、前記鳴竜の住居にあつた被告の荷物等を全部引揚げて右営業所に別居して訴外南本よしえと同棲し、昭和二十七年二月頃以降は原告に対して生活費すら支給せず、殊更に原告及び長女を遺棄して顧みなくなつた。その間原告は同年一月被告の飜意を求めるため右営業所へ赴いたが、被告には一片の誠意もなく、却つて被告は原告に暴行を加えて右小指捻挫の傷害を与え、更に同年三月二日頃、被告は原告から生活費を請求されて、これを拒否し、原告の些細な挙措に言いがゝりをつけ盗人呼ばわりをして暴虐の限りをつくした挙句、原告の弟山下茂を呼出して原告を実家に引取るよう要求したので、右茂はやむなく原告及びその長女明子を自宅に引取つた。原告はこの様な事情に立ち至つては親子二人の生活を維持することもできず、もはや被告との婚姻を継続し難いことを知り、これを解消すべく、同年三月被告を相手どり京都家庭裁判所に離婚、親権者指定、慰藉料を請求して調停を申立てたが、被告に誠意なく、原告がこれを咎めたところ、被告は又しても暴力を振つて原告に治療約十日間を要する両下腿打撲傷を負わせた。右調停は被告が慰藉料支払に応じないため、結局不調に終り、その後被告は司直の手に追われて京都市を去り、現在行方を眩している事実を認定することができ、これに反する証拠はない。右認定事実によれば、原被告間の婚姻関係は、被告の責に帰すべき事由により既にその回復を望み難いほどに破壊され、原告は被告との婚姻を解消することを希望しているから、この婚姻を維持するよりも、むしろ解消せしめることが婦人解放を指導理念とする中華人民共和国婚姻法の目的に適う所以であると考えられ、従つて本件離婚は同法において許容せられるべきところ、右事実は我が国法によつても、民法第七百七十条第一項第一号及び第二号に離婚原因として規定されている配偶者に不貞の行為があつた場合、及び配偶者から悪意で遺棄された場合に該当すること明らかであるから、原告の本訴請求は理由あるものとして認容するのが正当である。
次に原告は原被告間の未成年の長女明子に対する親権者を原告と指定することを求めているので考えてみるに、離婚に伴う子の親権者指定の問題は、離婚の効果として発生する法律関係であるから、離婚の準拠法によらしめるを正当とするところ、中華人民共和国婚姻法には「親権」なる用語は見当らないけれども、ほゞこれに該当すると認められる同法第十三条第一項(別紙抄訳参照)は、父母は子女に対して扶養教育の義務を有する旨規定し、離婚した父母の子女に対する関係を定めた同法第二十条、(別紙抄訳参照)は、その第二項に、離婚後も父母は出生した子女に対してなお扶養と教育の責任がある旨を定めているから、右二つの法条を対比するとき、同法においては、父母の離婚はその子に対する関係では何らの変更をも生じることなく、只同法第二十条第三項によれば、哺乳期間経過後の子女につき、双方とも扶養を希望して争を生じ、協議を達成することができないときは人民法院が子の利益に基いて判決することとなつているが、原告本人尋問の結果によれば、被告は長女明子に対して父親としての愛情もなく、原告がこれを手許に引取つて養育しており、且つ被告は現在所在不明であるから、後日被告が再び現れて、明子の扶養を希望して原告と争いを生じたときは、我国においては家庭裁判所がこの点につき子の利益にもとずいて適当な処置に出ることは別とし、同法同条同項の要件に該当する事実の認められない現在直にこの点の裁判をなす必要はないものと認め、右申立は却下する。
最後に慰藉料請求の点につき審案する。まずこの準拠法について考えるに、有責配偶者の賠償責任を離婚の効果に関する問題として離婚の準拠法によらしめる見解もあるけれども、およそ離婚につき必しも有責主義のみによらない現今法制の下においては、慰藉料請求は離婚に当然附随するものではなく、仮令有責的離婚原因に基く離婚の場合でも、有責配偶者の負担する慰藉料支払義務は離婚自体の直接の効果ではなくて、むしろその離婚の原因となつた事実が反対当事者に対して精神的損害を与えたことから生ずるもので、その性質(法律関係の性質決定の準拠法については我成法上の規定はないが法廷地法たる我国の法律によるべきものと解する)は不法行為に外ならないと解すべきである。従つて右慰藉料請求権の成立及び効力は法例第十一条により、その原因たる事実の発生地である我国の法律に準拠すべきことになる。よつて進んで右請求の当否を按ずるに、前示認定によつて明らかな如く、原告は被告にその国籍を欺かれたとはいえ、国籍を超えて愛情を捧げたにも拘らず、結婚後僅か数年にして被告の不貞行為に苦しめられると同時に、悪意を以て遺棄され、更には幾度か暴行陵虐をうけて、遂にこのような事情を原因として今茲に被告と離婚するのやむなきに至り、これによつてうけた精神的苦通の多大であることは十分察することができ、被告はこれに対して賠償の責任があることは明らかである。そこで以上に認定したような諸般の事情を斟酌した上、これを慰藉するに足る額は金二十万円を以て相当と認め、原告の慰藉料請求は右の限度において正当として認容し、その余は失当として棄却する。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 宅間達彦)
中華人民共和国婚姻法抄訳
一九五〇年四月一三日中央人民政府委員会第七次会議通過同年五月一日中央人民政府命令を以て公布即日施行
第四章父母子女間の関係
第十三条 父母は子女に対して扶養教育の義務を有し、子女は父母に対して胆養扶助の義務を有する。双方とも虐待或は遺棄することができない。
<第二、第三項省略>
第五章離婚
第十七条 男女双方が自ら離婚を希望するときは離婚を許す。男女の一方が堅く離婚を要求し、区人民政府及び司法機関が調停効果がなかつたときもまた離婚を許す。
男女双方が自ら離婚を希望するときは、双方が区人民政府に登記して、離婚証を受領しなければならない。区人民政府は、確に双方が自ら希望していること並に子女及び財産問題に対して確に適当な処理が行われていることを調査究明したときは、直ちに離婚証を発行しなければならない。男女の一方が堅く離婚を要求したときは、区人民政府は調停を行うことができる。調停に効果のなかつたときは、直ちに県或は市人民法院に移牒して処理しなければならない。区人民政府は男女いずれかの一方が県或は市人民法院に提訴することを阻止或は妨害することができない。県或は市人民法院は離婚事件に対してまた先ず調停を行わなければならず、調停に効果のないときは、直ちに判決を行う。
<第三項省略>
第六章離婚後の子女の扶養及び教育
第二十条 父母と子女の間の血族関係は父母の離婚によつて消滅しない。離婚後、子女は父或は母のいずれが扶養するとに拘らず、なお父母双方の子女である。
離婚後も父母は、出生した子女に対してなお扶養と教育の責任を有する。
離婚後哺乳期間中の子女は哺乳する母親に随うことを原則とする。哺乳期間後の子女につき、双方とも扶養を希望して争を生じ協議を達成することができないときは、人民法院が子女の利益にもとずいて判決する。
「法学研究」第二十三巻第十号六十頁
(訳文は中国研究所編「新中国年報」1二一六頁による)